謎が謎を呼ぶ!飛鳥謎の石群② 奈良県高市郡明日香村
2017/05/29
先週に引き続き、今回も奈良県は飛鳥村にやってきました!
前回、猿石の権現さんに詰めの甘さを指摘され、今回はさらにリサーチしての訪問。
権現さんの言ってた石、確かにありました!なかなかに立派な(笑)
さらに謂れ、雰囲気とも前回をしのぐ謎の石たち…
ではでは、今回も張り切ってスタートです♪
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今回最初の石は、近鉄飛鳥駅の隣、壺阪山の光永寺にあります。
近鉄の壺阪山駅から歩いて5分。駅前はたくさんの登山客でにぎわってます。
この駅は日本三大山城のひとつ、高取城跡への起点でもあります。
こーも以前、登山しました。山を登っていくと、やがて巨大な石垣が現れてきて…
以下のページは高取城の往年の姿を奈良産業大がCG画像でよみがえらせたものを見ることができます。
圧巻の再現ですよ。
http://sightseeing.takatori.info/sightseeingspot/siroato_cg.project_garlley.html
人頭石 (壺阪山・光永寺)
さて光永寺。寺前の道は昔ながらのいい道です。
北に歩いていると、ほどなく右手に光永寺があります。
この寺名の石碑の後ろ、植木の垣の中にその石はあります。
どーん!
こちらご存じ、イースター島のモア…じゃなく、”人頭石”ですw
花崗岩に彫られたもので、大きな耳と突き出た顎がすごく印象的です。
猿石の”権現”さんたちと一緒に掘り出された物ではないかと言われており、モデルはペルシャ人のような人じゃないかと言われています。
天皇が饗宴の場での装飾物として作らせたのではないかとも言われていますが、はっきりしたことはわかりません。
しかし、現在は頭の上が凹んでおり、そこに水を貯めて手水石にされてました( ;∀;)
…心なしか、涙を流してるようで。思わず笑いが 😆
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さあ壺阪山から飛鳥へ戻りましょう♪
本日はいい天気♪レンタサイクルでびゅーんと走りますよ~。
「遅いの~、待ちくたびれたではないか 👿 」
あら、駅前に”権現”さん来てました(^.^)
今日は服を着てますね。
「うむ、駅前だしの。周囲の目もあるからの」
それを気にする方だったんですね。
今日はお出迎えに来ていただけたんですか?
「今日の石はおもろいぞ~ わしのモノよりは劣るがの。
ほれ、早くれんたさいくるするんじゃ。今日は結構走るぞ」
あ、はいはい。それでは今日も明日香を楽しく走りましょ~(*´▽`*)
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雲はあるけど、気持ちのいい秋空。丘の上には”二面石”のあった橘寺が見えます。
のどかだなぁ。
しかし”権現”さん、歩きで自転車に付いてくるの、大変じゃないんですか?
「おぬしのこぐ速さなら問題ないわい。しかしいい日よりだの~ 😛 」
楽しそうです 🙂
いつまでもペダルこいでたい明日香です。
マラ石
「どうやら近づいてきたぞ」
とうとう、あれですね、あの石があるんですね。
「そうじゃ。ほれ、向こうに立っとろう」
「これじゃ~」
「まあ見れば一目瞭然じゃな。これは男のあれをかたどった石じゃ。長さは約1m。飛鳥歴史公園の祝戸地区にある。
”マラ”とは男性性器のことでな、この地出身の考古学者によると、五穀豊穣や陰陽信仰と関連するものではないか、とのことじゃ。」
他の地方でもありますね、こういうの。
「うむ。子孫を繁栄させ、豊かな実りを願う地域信仰は全国あちこちで見られるものじゃな。
ちなみにこの石のそば、飛鳥川の対岸にある丘は”ふぐり山”という。”ふぐり”とは男の金玉のことじゃ。
この”マラ石”と”ふぐり山”は対ではないかとも言われておるんじゃ。ま、ほんとのとこはわからんがな。」
へえ~、そうなんですね。しかし、一眼カメラで写真撮るの、なかなか恥ずかしいですね 😳
「何を言うか。恥ずべきものでも隠すべきものでもないわ。」
「ほれ」
「ほれ!」
「ほれ~!!!」
ふざけないでくださいって!!! 外でスマホでこれ見てる人が、画面隠さないといけなくなるじゃないですか!
「のははは。この石はの、最初はぴんとまっすぐ上を向いとったんじゃが、時が経つにつれ傾いていったそうじゃ。
何とも身につまされるの~。のはははは」
も~ 😕 権現さん、何でもいいけど、服脱がないで下さいよ!
どんどん調子に乗るから、次に行きましょう(´・ω・`)
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明日香の秋風は結構冷たいけれど、この気温差は作物をはぐくんでいく大事な条件なのかなぁ。
「しみじみと、よいところじゃろ?明日香は」
はい、ほんとうに (^-^)
「時の権力者が都を造り、政治闘争に明け暮れたのも今は昔じゃ。
時は次第に早く流れるようになると人は言うが、本当は逆なのかもしれんな。ただ、人が生き急ぐようになっていくだけのことでな」
…
「ほれ、次の石じゃ。あの坂をこぎあがるのじゃ!!」
ひえ~
くつな石
ヒー、ヒー。
は、ハードな坂ですね…
「よい運動ではないか、だらしないのう。ほれ、あの鎖の付いた入り口から入るぞ」
「くつな石」の由来
昔この巨石に目を付けた石屋が石を切り出そうと、石鑿で「コン!」と一打ち…。すると石の割れ目から、赤い血が流れ出し、傷ついた蛇が顕れた。驚いた石屋はそのまま逃げ帰ったそうな。ところがその夜から、ひどい熱と激しい腹痛におそわれ、とうとう亡くなってしもうた。村人たちは、これを「祟り(たたり)」と恐れ、敬い、此の石を「神の宿る石」として祀った。それがくつな石である。
「ここじゃ。これがくつな石じゃ」
…なんというか、とても雰囲気のある…いや、結構おどろおどろしい石ですね。
まわりの空気が違う感じがします。
この面には、線状の傷があります。これがノミの跡…まさかですね 😯
でもここの石の雰囲気、本当に神が宿っておられる。そんな気がすごくします。本当に。
”権現”さん、なんで黙ってるんですか…?
「何でもないがの。おぬしがそう感じたのなら、手を合わせるのじゃ。それでええ」
…はい。そうします。
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くつな石を後に、入り口に戻ります。
この入り口そばの立札に、絶景風景の見える場所への行き方が書かれています。
稲刈りの終わった田んぼの向こうには、甘樫の丘、畝傍山、奥には二上山が見えます。
風が爽やかに吹き上がってきます。この季節は少し冷たいですね。
遥かな昔、同じように冷たい風に吹かれながらこの景色を見た人がいるんだろうな…
そう思うと、僕の身体が昔のその誰かになったような、そんな心持になったりして 🙂
静かな里の奥にそっとある”くつな石”でした。
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「おいこりゃ、そんなに早く走っては追いつけんではないか!待て待て、待ってくれい!!!」
行きがすごい坂だった分、下りは最高に楽だな~~。
「聞こえとるのか!!お~い!」
”権現”さ~ん、先に言ってますよ~。次はこの近所の、あの有名な古墳ですから~(^^)/
石舞台古墳
「ぜー、ぜー…や、やっと着いたわい…」
お疲れ様です。
「お、おぬし…一人でジュースなんぞ、飲みよって…」
飲みますか?あれくらいで息上がるなんて、だらしないですねぇ。
「くつな石の時の仕返しじゃな…つくづく心根の曲がった…」
さ、行きますよ♪石舞台古墳、小学生の時以来なんですよ~。
石舞台古墳
石舞台古墳(いしぶたいこふん)は、奈良県明日香村にある古墳時代後期の古墳。国の特別史跡に指定されている。
元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていたが、その土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出している。埋葬者としては蘇我馬子が有力視されている。
-wikipediaより抜粋
”権現”さんが息上がってるので、wikiから。
この古墳は花崗岩で造られた横穴式の石室で、約30もの石を組まれてできています。
玄室(石棺のあった部屋)の広さは、長さ約7.7m、幅約3.5m、高さ約4.7m。開放されていて、見学可能です。
「蘇我氏はこの飛鳥に基盤を持っていた豪族でな、娘を天皇に嫁がせ天皇家の外戚になるなどしながら次第に力を持っていったのじゃ。
また大陸から伝わった仏教を保護し、取り入れていったのも蘇我氏じゃ。」
「この古墳の埋葬者と言われる蘇我馬子は蘇我氏の全盛期を築いた人物だったが、その権力をたてに天皇を弑したり、皇太后を初の女帝としたりした。そして厩戸皇子(聖徳太子)を皇太子に立てたのじゃ。」
…確か太子は十七条憲法を作ったんですよね。
「そうじゃ。馬子はその後、聖徳太子とともに国家の中央集権化に努めた。また大陸の学問や文化を取り入れるために、中国の隋に遣隋使を送ったりもした。」
…いい人のような、悪い人のような。
「うむ。蘇我氏の増大した権力は、しだいに横暴を生んでいき、馬子の孫である入鹿の代には粛清されてしまうのじゃ。」
因果応報ですか…
「この古墳は盛り土がなくて石室がむき出しであろ?これは時間経過でそうなったという説と、蘇我氏の横暴をよく思っていなかったがゆえに、滅んだ後暴かれた、という説もあるんじゃよ。」
そうなんですね…
「まあ、そんなことも今は昔、遥か昔じゃな。ほれ、訪れた人たちがのどかに笑っておるわい」
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あの、”権現さん”。お腹減ってきません?そろそろお昼にしませんか。
今日はいろいろお世話になってますし、ご馳走しますよ 🙂
「お、もうそんな時間か。気持ちはありがたいが、一度戻る。皆になんも言わんと出てきたからの」
あら、そうなんですか。わかりました。
「めしを食ったらここに来い。次の石はここにある。」
わかりました!では後ほど!
今日のランチはレストラン「あすか野」さんで、古代米定食を♪
赤米ご飯に煮物、川魚、とろろに押し寿司、先週お土産にした飛鳥の蘇まで付いてて。ビールが飲みたくなったけれど、この後もまだ探索が残っているのでガマンガマン。
盛りだくさんなご飯で大満足!ごちそうさまでした!
さあ、”権現”さんの言ってた場所は、石舞台から結構走ります。あんまり待たせちゃ悪いし、出発しますか!
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石人像・須弥山石(飛鳥資料館)
あ、”権現”さんもう待ってる!すいません、お待たせしました!
「いやいや、わしも今来たとこじゃ。ここには二つの石が展示されておる。では入るぞ。」
楽しみですね(^-^)
「まずはこれ。”石人像”じゃ。この明日香の石神地区の田の中から出土したもので、高さは1.7m。七世紀頃の製作と言われておる。」
なかなか大きいですね。
「そうじゃな。わしより大きいの。この”石人像”のすごい所はな、なんと噴水設備になっておることじゃ。」
え!これ水が出るんですか?!
「これは杯を口にした男の背後から女が抱き付いた形をした像なのじゃが、その男の杯と女の口から水が出る様に、中に水の通る孔があるのじゃ。」
「わかるかな?男の杯は欠けておるがな。」
ほんとだ!穴が開いてます!
「この飛鳥資料館の庭にあるレプリカは、実際に水を出して噴水として展示されておるぞ。」
なかなかシュールな感じですね。後から見ておきます。
「よし、次じゃ。」
だるまさん、ですか?
「須弥山石じゃ。須弥山とは仏教の世界で、世の中心にある山の名前じゃな。
この石も石神地区から出土した。中はくりぬかれて円柱状になった石が三段積まれている。なんとこれも噴水なんじゃ。」
これも水が噴き出すんですね。
「ここからじゃ。四方に穴があいておる。底から吸い上げた水を内部に溜め、穴から噴き出すように造られておるな。
今は三段で積まれておるが、実は二段目と三段目の構造が合わないことから、もう一段この間にあったと言われておるんじゃ。」
そうなんですね~。僕はこちらの須弥山石の方が、さっきの石人像より噴水っぽくて好きかな。石人像は…ちょっと趣味悪いですもん。
「まあそうじゃな。確かに女に抱き着かれた男の姿を噴水にするっていうのも、なかなか考え付かん気はするの。」
どんな人が考え出して、形にしたんだろ…
「実はこの須弥山石は、『日本書紀』にそれと思しき記述があるのじゃ。それによると、作者は遥か昔に韓国にあった百済の国の人間が、七世紀ごろに日本にきて造ったのではないかと思われる箇所がある。」
「百済の国と倭(日本)の国は交流が盛んで、倭には渡来した半島の人たちの集落もあった。様々な技能に長けた渡来人たちは、その技術力で倭に溶け込んでいったのじゃ。」
実は僕は今年、百済の都のあった町を旅してきました!
「ほほう!そうなのか。それはよい。
最終的に百済は滅ぼされてしまったが、たくさんの人たちが倭の国に移住し、様々なものを伝えた。
この石たちも、そういった遥かな昔の二つの国の遺産なのやもしれんの。」
深くて長くて、少し暖かい感じがします、歴史って 😛
「ふふふ、そうか。人それぞれの感じ方があるから、歴史はさらに興味深いのう。のはは。」
「さて、ここで見るべき石は見た。明日香の謎の石、最後は何ともすごいのが残っておるぞ!」
ほんとですか!うわ~、楽しみです!! 😀
「場所は飛鳥の隣、岡寺にある。」
あ、じゃあ自転車返さないと。
「まだ時間はある。午後の明日香をゆるりと走ろう。」
はい(^-^)
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本当に綺麗に咲いてます。
花たちも長い歴史を、何度も咲いては枯れてを繰り返してきたんだろうなぁ。
「こっちの方が枯れてるところが少なくていい感じじゃぞ。」
はい。でも枯れてるとこも見ときたいんです。
「…かわっとるの、おぬしは。」
益田岩船
レンタサイクルも返却して、隣駅の岡寺に来ました!
この駅は飛鳥駅と違って民家が多い感じです。こんな住宅街にその石はあるんですか?
「ここから西に少し歩くんじゃ。岩船山という小高い山がある。石はその上にある。」
え!今から登山ですか?
「大丈夫。そんなに高くはないわい。ものの五分ほどの山道じゃ。」
あ、ありましたよ入口!小学校の裏山なんですね。
…なかなか急な階段ですねえ('_')
「ほんの少しじゃ。ちゃんと整備された山道じゃ、ほれいくぞ。」
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ご、”権現”さん!!!なんですか、あれ!!!
「この石が”益田岩船”じゃ。
花崗岩でできており、東西約11メートル、南北約8メートル、高さ約4.7メートル。重さは約100トンもの重量があるという説がある。」
ななな、なんなんですかこれ!なんてでっかい!それに表面の格子状の彫りは…
これいったい何のための石なんですか!
「うむ、この石の用途にはいくつかの説があっての。」
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星を見、占いをするための占星台
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横口式石槨(せっかく)の建造途中で、石に亀裂があるため建造を放棄された物
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巨大な石碑の台石
「有力なのは2の説じゃ。斉明天皇という女帝とその娘のための古墳の石槨として途中まで製作されかけた、というものがな。」
斉明天皇!確か”僧”さんと見た『亀形石造物』でもその方が出てきました!
「うむ。斉明帝はたくさんの石造物を造った事で、”石の女帝”と呼ぶ人もおる。
さ、もう少しまわり込んで見てみよう。」
あ!石の上面に綺麗な方形の穴があります!それも二つ!それにこの面はすごく表面が滑らかな感じです。
「その穴は2人分の玄室(お棺の入る部屋)で、完成した後横倒しにする予定だったとか何とか。
穴の寸法が高麗尺であることから7世紀ごろのものと言われておるが、当時の技術の高さがうかがえるの。」
ほんとに、本当に…何ていうか、存在感が圧倒的です…
こんな山の中にこんな巨大な石があって、きっと実際どれかの目的で造られたものだけど、それが何かはもはやはっきりと分からないなんて…
「謎じゃ。様々な説があって裏付けをとってという作業はされておっても、もはや断定することはできん。」
やっぱり、謎…こんなにたくさんの謎に取り囲まれたのは初めてで、もう目が回りそうです…
「ほう、そうかな?人は様々なことをわかっておる様にふるまって生きておるが、果たして世の中はそんなにわかりやすい事ばかりなのかの。」
…
「本当は世の中、何にも分かっておらんのかもしれんぞ。な~んにもな。」
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”権現”さん、僕ほんとに飛鳥に来てよかったです。何ていうか、不思議な謎だらけだったけど、たくさんの謎を通して遥かな昔の人たちをより身近に感じられて…
そうしたら、なぜか今の自分や自分の周りの人たちの大事さとか、尊さみたいなことがより感じられた気がするんです。
「そうか、それは良いことではないか。」
気が遠くなるくらい続いてきた歴史の中に自分がいることが、本当に奇跡的で素晴らしいと思える僕は幸せだなと思います。
”権現”さん、ほんとにありがとうございます。
「ふむ、この旅で色々と感じたようじゃな。なびした甲斐があろうというものじゃ。」
「この世は混沌としておる。遥かな昔からの。だがおぬしがこれからもその”歴史”の中で、いろんな物事をまっすぐ見ていくなら、この世界もきっとまっすぐにおぬしに色々見せてくれよう。
そう生きることを望むなら、誰が何といってもそう生きていけばよい。それが歴史となるのじゃ。」
「ほれ、吹き抜ける風もそういっておるぞ。」
まとめ
今回の旅は、初めに出会った四つの石たちが何かを語りかけてくるような雰囲気を持っていたことから、半空想旅行記となりました。
四つの猿石さんたちにナビゲートされながら巡った飛鳥の地は、自然と歴史が一体となった、まさに飛鳥ならではの雰囲気がありました。この日本の始まりを肌で感じることができます。
そんな雰囲気の中、あちこちで出会った謎の石たち。目的が大まかに判明しているものから、まったく謎のものまで。様々な形と雰囲気を持つこれらの石は、いったい何を語りかけているのか。
それはきっと、訪れた人それぞれに届いてくるメッセージがあるはずで。
僕にとって飛鳥は、そんな心の声に静かに耳を傾けることのできる素晴らしい場所でした。
周遊にはレンタサイクルがおすすめです。風を切りながら走る飛鳥は本当に気持ちが良かった。
太陽を感じ、田畑のにおいを吸い込み、鳥の鳴き声に耳を傾けながら。
また今回廻れなかった場所もいろいろあります。高松塚古墳、藤原宮跡、甘樫丘、談山神社…
場所によっては離れているところもあるので、バスやタクシーを併用すると効果的ですね(^^)
心の中の景色に会いに、皆さんも飛鳥を訪れてみませんか?