天空の寺院プレアヴィヒア、天空の城ラピュタのモデルと噂のベンメリア プレアヴィヒア カンボジア⑦
2018/04/26
11月9日(木) 【レストラン横 フリーハンモックスペース】
「1ドル、1ドル、1ドルです。」
ビッチャイと昼食を終え、レストレラン横にある無料のハンモックスペースで揺られていると少女が一人近寄ってきた。
もう見慣れた、首から掛けたお土産かごにはいつものセットが載っている。
少し首元のよれたストライプの服、耳にあけたピアス、素足、そして透き通った瞳。
遺跡観光の道沿いのレストランだったから、外国人相手の近所の子かな。
「ポストカードはいかがですか?アンコールワットです。これはマグネット、これはキーチェーン、便利です。ひとつ1ドル、たったの1ドルです。」
ビッチャイがすぐに、諭すように女の子に語りかける。
僕は彼女の視線を受ける。
彼女も他の子たちと同じく瞳をまっすぐ僕に向けてきたけれど、切り込むような鋭さはない。性格なのか、さほど生活には困っていないのか。
その子はビッチャイにコクコクと頷きながらも、僕のすぐ横にてくてくと歩いてきた。
「これ、いかがでしょうか?」
僕を見下ろす彼女の後ろに陽が当たって、茶色の髪がきらりと光った。
再びビッチャイが何かを言うと、彼女は諦めて立ち去りかける。
「…ねえ、君。」
「僕はお土産はいらない。だけどもし君が僕に写真を撮らせてくれるなら、僕は君に1ドル払う。君の顔の写真。どう?」
身振りを交えて彼女に言うと、彼女はまたコクコクと頷いた。
僕はカメラを構え、緊張した彼女に少しおどけてシャッターを切った。
お礼を言ってお代を渡すと、彼女はそれを受け取った後おずおずとポストカードを差し出してきた。
笑ってそれをかごに戻してやると、初めて彼女は満面の笑顔になった。
さっき欲しかったな、その笑顔。
11月8日(水)7:15 【ホテル 食堂】
窓際の席には先生がいた。
カンボジア5日目の朝。天気は快晴。食堂には気持ちよく光りが差し込んでいる。
末松君はどうやらまだ寝ているらしく、一人で朝食を摂っておられた。
「楽しんでいるかな?」
僕は昨日のトンレサップ湖と今日のプレアヴィヒアツアーを伝えた。
「プレアヴィヒアかぁ。結構遠いけど、見ごたえあるよ。」
先生の笑顔を見て、昨日の事を話してみようかとも思ったけどやめた。
「お仕事はどうですか?」
「まだ始まったばかりだからね。末松君も戸惑いながら、皆に混じってがんばってるよ。」
良かった。彼らは彼らの道をゆく。始まりは順調なようだ。
++
昨日と同じくホテルのロビーで待っていると、がっちりとしたガイドが現れた。
「おはようございます。私の名前はホウです。今日はよろしくお願いします。」
前日のガイドよりもはるかに日本語が流暢で、笑った目元が柔らかい。
昨日の反動もあってか、僕はその目じわに好感を持った。
11:41 【車内】
車はまっすぐな一本道を疾走する。
シェムリアップの中心地を出ると途端に家々はまばらになり、代わりに背の高い熱帯の樹々や草原になった。
と同時に道も、舗装されてはいるけど穴ぼこやひびだらけになり、そこここに雨水が溜まっている。
街中はゆっくり走っていた車も、郊外に出ると急にスピードを上げた。
「郊外ではスピードを出しても安全。見通しがいいから。」
前を走る車を、クラクションを鳴らしては次々と追い抜いていく。
「こうやって、追い抜く前に教えてあげるのがマナーね。車にも、歩行者にも。」
今日向かうプレアヴィヒア寺院は、カンボジアとタイの国境にある。
2008年アンコールワットに次ぎ、カンボジア第二の世界遺産になったヒンドゥー教寺院だ。9世紀に創建され、その後増改築を繰り返した。
標高640mの山の断崖絶壁にあるそこは、ネット上では『天空の寺院』として有名だ。
『プレアヴィヒア』とはクメール語で、”神聖な寺院”という意味らしい。
しかしそのアクセスの悪さから、カンボジアを訪れた旅人みんなが向かうわけではない。公共の交通機関などなく、片道4時間の車の旅になるからだ。
「今日のツアーは男だけだね。夜の世界遺産はもう行きましたか?」
道の凸凹に弾みながらホウさんが言う。
彼は今日のプレアヴィヒア、ベンメリアツアーのガイドだ。がっちりとした体格と頼りがいのある雰囲気、優しそうな目。
「行ってないの?カンボジアの女は優しいよ。隣の国の女たちと大違い。」
僕ともう一人の参加者の男性は顔を見合わせて笑った。埼玉から来た彼も、あんまりそっちには積極的ではなさそうな感じだ。
「今のカンボジア首相の嫁も隣国人ね。軍の女将軍。だから頭があがらない。」
「今のカンボジアの知識層はみんな隣国人です。国が半分乗っ取られてるも同じ。現に国境なんてじりじりと線が動かされているよ。これからのカンボジアは若い世代が頑張っていかないとだめなんだ。」
僕は旅で仲良くなっても政治の話はしないけど、カンボジアでは少し打ち解けると向こうから切り出してくることが多い。
ホウさんもしっかりと国を憂えている一人のようだ。
ゆったりと走るトゥクトゥクを追い越し、車の高さの倍は荷物を積んだトラックとすれ違う。
木に登って実をもぐ人、池に入ってじっと水面を見ている人、平屋造りの家の庭で家族で過ごす人。生活が車窓から流れていく。
晴れ渡っていた大空は、あっという間に黒い雲が広がって大粒の雨になった。
叩き付けるような雨がしばらく続いたかと思うと、まるでカーテンの端をくぐり抜けたかのようにぴたりと止み、何もなかったかのように再び太陽が大地を照らす。
車の外で、飛ぶように月日が過ぎてくみたいだ…
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お昼前に山の麓のチケットセンターに到着。ここで四駆の車に乗り換え、急な坂道を登る。
ずっと座っていると尻が痛い。
すぐ横の木陰で休む牛たち。
坂道は途中から、40度近い傾斜になった。
相変らず凸凹なので、ジープの柱に掴まっていないと転がり落ちそうだ。
「下の谷を隔てて向こうの山はタイ。静かだけど林の中には、兵隊が銃を持ってこっちを監視してるよ。」
谷間の幅は狭い。タイの山は、向こうというより”すぐそこ”という方が感覚的に正しい。
このジープも不安げに見つめる僕らの顔も、向こうには筒抜けに違いない。
12:34 【プレア・ヴィヒア寺院入り口】
車は穴だらけの広いスペースに停まった。
あまりにも凸凹なので、右に左にそれを避けて停車したほどだ。
車を降りるとここが他の観光スポットとは全く違う場所だと感じた。
空気が違う。
寺院入口を前にして、左手にはさっきより広くなった谷間とそれにそって軍の塹壕。右手には斜面に民家が並ぶ。
「行きましょう。寺院の入口はもう少し先だ。」
ホウさんがそう言って歩き出す。僕たちもそれに続く。
石に腰かけて話し込むカンボジア兵。放し飼いの痩せたニワトリ。畝を作った畑からは、何かの芽がひょろひょろと出ている。
民家から出てきた女性が、こちらを見ながらホウさんに話しかける。が彼が首を振るとそれ以上近づいてはこない。
頭上には熱帯の太陽、足元には岩と雑草ー。
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「ここが寺院の正門。この階段の下が正規の寺院入り口だよ。」
急な下り階段の先は、タイへの道が続いているのが見える。
「2008年の銃撃戦までは、この下に市が立っていました。でもその時の戦いで焼かれてしまった。今ではここから下に降りることはできない。」
そう。ここは訪れる観光客もまだ少ない国境地帯。
数年前には殺し合いがあった場所。
そう思うと、暑かった周りの気温が少し下がった気がした。
「寺院はこっち。坂を上がります。その先にお目当ての絶景が待ってるよ。」
石畳は坂になっており、道の両側にはリンガ(男性器の象徴)が定期的に配置されている。どうやら上へと進むごとに、神の世界へ近づいている感覚を抱かせるように造られているらしい。
二つ目の門に若い女性の警備員がいた。
僕たちが写真を撮っている間、二人は何やら話し込んでいた。
「彼女はすぐにでも良い人を見つけて結婚したいそうです。」
再び歩き出したとき、突然彼が言った。
「何故だかわかりますか?」
歳を重ねて子供が欲しくなったから?一人はさみしいから?
「カンボジアでは、結婚は欠けたもの同士が一つになるということ。男女が性交をする、穴に棒を差し込む。これは下品なことではありません。それは二つのものが一つになること、完全なものになること。」
「彼女は結婚によって、完全になる事にあこがれているのです。」
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「さあ、いよいよこの門の向こうがお待ちかね、絶景ポイントです。」
地平線が緩くカーブして霞む。
空は大地にのしかかり、大地はそれを押し返す。
はるか下に見える池は割れた鏡のガラス。繁る森や細く伸びる道は、まるで箱庭の上のミニチュアの様に小さい。
きっとここで人は、神様と対話していた。
おまけ