カンボジア最後の夜 シェムリアップ カンボジア⑩
旅に出たら見たい場所を、自分のペースで心ゆくまで見たい。
食べたいものは、日本では並ぶの嫌いでも絶対に食べたい。
もしかしたら、ここに来るのはこれが最後になるかもしれない。
だから気が済むまで何度でも行く。何時間でも見る。
アンコールワットは他の大多数の遺跡群と異なり、正面が西向きになっている。
だから写真を撮るなら午後の方が逆光にならなくていい。
タティとのツアーではここが始まりだったから、午前中でまともに逆光だった。今回は大丈夫。
「何時間?」
駐車場でビッチャイに見学時間を聞かれる。
「一時間半で。」
今回は中央祠堂を取り巻く壁画を見る。そこにはたくさんの物語が待っている。
元気一杯な子供たち。遺跡のあちこちは、彼女たちの楽しい遊び場。
第一回廊(ワットの大外の壁面)にインド古代叙事詩『ラーマーヤナ』や『マハーバーラタ』の場面の彫刻がある。
ページをめくるように、僕は壁沿いを進んでいく。
彫り込まれた数々の場面。
長い年月で色褪せてすり減っていく事は、その魅力がかすんでゆく事にはならない。
様々の物語は歳月を重ね、より深く、濃くなっていくのだと思う。
僕の頭の中で神々は色を持ち、表情は変化し、手足が踊りだす。
彼らは異国から来た僕に微笑み、あるいは脅し、手を伸ばしてあちらの世界へ僕を誘う。
また来る日まで。
「君の旅に祝福を。」
振り返ると、神々が背中を押してくれるような、そんな虹が架かっていた。
++
旅で誰かと仲良くなった時、親切にしてもらった時、どこかへ誘われた時。
どこで人を信用するか。どこまでその人の言動を信じるか。
最初から疑ってかかって、人との交流を絶ってしまったら旅の楽しみは半減するだろうし、かといってホイホイどこにでも付いて行ってだまされて、身ぐるみ剥がれるのもごめんだ。
僕の基準は『この人にならだまされてもいいな』と思えるかどうか。
「カンボジア人しか行かないバーに連れていくよ!」
ビッチャイの言葉に、一瞬身構えなかったかといえばウソになる。
けど『うん、それも楽しそう!』と思えたのは、彼になら仮に、そうされてもいいなと思ったから。
アンコールワットからホテルに戻り、一旦ビッチャイと別れた。
シャワーを浴び、マーケットを散歩し、カフェで日記を書いて時間をつぶす。今頃は中国語の勉強を頑張っているだろな。
20:23 【ビッチャイおススメのカンボジアンバー】
「待たせてゴメン。」
席に着くとビッチャイは言った。
「いやいや!全然大丈夫。勉強お疲れ様!」
屋根はあるけど壁はない。
蛍光ピンクが道路に映り込むくらい照明のド派手なお店。クメール語で掲げられた店名はイエロー。50メートル前くらいから店の存在が分かったほどだ。
入り口には短いスカートのお姉さん方がずらりと脚を組んで座っていた。
「外国人用のカンボジア料理はたくさん食べたろ?今晩は僕らがよく食べてる料理を食べさせるよ。」
注文を取りに来たウェイトレスも短めスカートだった。素朴でとても優しそうな顔に、ちょっぴり濃い目の化粧。
ビッチャイはクメール語で注文しながら僕を指して彼女に何か言った。去り際に彼女は僕ににっこりほほ笑んで何か言った。
「いらっしゃいってさ。」
店の妖しい照明の中、僕はウェイトレスの彼女にちょっとドキッとしてしまった。
またすぐに彼女が、カンボジアビールがたくさん入った氷入りの容器を持ってきた。
ビッチャイはグラスに氷を入れて、ビールを注ぐ。僕もそれに倣おうとすると、彼女が注いでくれた。
「さあ!乾杯しよう!!クメール語で乾杯は『チョルケ モーイ』だよ!」
グラスを当てて僕らは乾杯した。
すきっ腹にビールが染み渡る。僕はこのカンボジアの旅で出会った人や遺跡の写真なんかを彼に見てもらった。(ビッチャイは、彼自身を撮った写真を見て、これはいい!なんて言って笑った。)
「さあ料理が来た!これはバッファロー(水牛)のジャーキー。昼間水場で水浴びしてたね。」
「この貝はクロエ(って聞こえた気がする)。カンボジア人のパワーの源さ。結構スパイシーだよ。」
「あ!これはわかるで!!カエルやろ?見たまんま(笑)」
「イエス!フロッグの姿焼き。」
カエルの肉は鶏肉の様な味とよく言うけど、食べたのは痩せていて、筋と小骨のかたまりという感じ。
料理はそれぞれ独特の味だった。特に淡水の貝は少しビビったけど、食べてみるとトウガラシやニンニクなんかでしっかり味付けしている。結構くせになる味。
(※料理の写真がないのは、店内の暗さでほとんど何が写っているのかわからない感じだった為。)
ガシガシとカエルをしがみながら、何度も「チョルケ モーイ」をする。
料理を運んでくれるたびに、ウェイトレスの彼女はお酒を注いでくれた。空瓶が並び、僕らはさらに追加した。
「可愛いウェイトレスさんやなぁ。」
にっこり笑って去る彼女を見ながら僕が言うと、ビッチャイはニヤリと笑い
「ずっと座っていてもらう事もできるよ。ちょっと料金は追加になるけど。どうする?」
「あ、いや、それは…」
「うん、そう言うと思ったよ。こーの趣味ではないもんね。」
「え?いやいや、可愛いと思うよ。…僕の趣味って?」
「昼間子供の写真いっぱい撮ってたから、少女趣味かと思った。」
「なんでやねーん!!!」
僕らは腹を抱えて大笑いした。
ふと店の中から空を見上げる。
生暖かい東南アジアの夜。うす暗い店内と蛍光色の照明。
異国の話し声に、艶然と微笑む女性たち。
こう聞くと生々しく聞こえるシチュエーションだけど、目の前には酒に酔ってケタケタ笑う友だち。
楽しいな。
心からそう思う。
カンボジアに来て。あのホテルを選んで。先生に話しかけて、ビッチャイに会えて。
本当に良かった。
「サンキュービッチャイ。君のおかげで僕は、カンボジアが大大大好きになったよ。」
「ホントかい?それは良かった!じゃあ次はいつ来る?10年後、20年後かな?」
「そんなに先にならへんよ!新しく世界遺産になった遺跡にも行ってみたいし、飲んでみたい酒もある。次に僕が来たら、君は僕の専属ドライバーやで!!」
ビッチャイはうんうんと頷き、また乾杯をした。
「その時まで、今日見たような事故をしないように。お互い安全運転しよな。」
「うん、乗せるお客さんの為にも気を付けるよ。」
「ちゃうよ。君の奥さんや子供たちの為に、やで。」
彼はそれを聞いてちょっとうつむいた。でもすぐに顔を上げ、いつもの笑顔で「サンキュー」と言った。
お腹もふくれて、結構飲んだ。
食べながら飲んだから、それほど酔ってはいない。ビッチャイもグラスを伏せた。
それから彼はそっと店員を呼び、何かを伝えてお金を握らせた。
店内の大きなスクリーンからMVが流れ出した。
中年シンガーの男性の、ちょっと悲しく聴こえる曲。切々と胸に染みるような。
「いい曲。バラード?」
「いや、バラードじゃないよ。」
そういって静かに聴き入る。僕もそれ以上聞かず、彼に倣った。
++
別れ際、ホテル前で明日の予定を訊いた。
「明日僕は日本に帰る。ホテルから空港まで君のトゥクトゥクで向かいたいんやけど、明日は予約入ってるかい?」
「大丈夫。迎えに来るよ。」
そう言って、もう一度彼は笑った。
部屋に戻り、ベッドに横になって今日を振り返った。
長い一日だった。最高に楽しくて、長い一日。
見たかった遺跡を見、ちびっこ達の写真を撮り、友だちと共にお酒を飲めた。
今回の旅で出来ることはやりきれた。上出来。僕は心から満足して、感謝した。
カンボジア最後の夜は、こんなにも幸せに過ぎていった。