カンボジア 世界の旅

赤い遺跡バンテアイ・スレイとカンボジアの友達  バンテアイ・スレイ カンボジア⑨

2018/04/26

カンボジアの男は、まるで深くて濃い色の湖のようだ。
広くて静かで、水面に白い霧がたちこめている。

僕はその湖を目にし、霧中を歩き、水面に足を浸した。
その水はじんわりと温かくて、僕の身体にゆっくり染みわたっていく。

 

 

 

11月9日 9:00 【ホテル前

待ち合わせ時間になって表に出ると、ビッチャイのトゥクトゥクはすでに止まっていた。

 

「やあ、こー!気持ちいい朝だね!」

そう言って彼は満面の笑顔で僕を迎えた。朝日を受ける浅黒い肌と綺麗な白い歯。

 

「よく眠れたかい?今日はバンテアイ・スレイって言ってたけど、変更はない?」

「うん。そこでどうしても見ておきたかった遺跡は最後。今日は急ぐ必要はないよ。」

「OK!じゃあ出発しようか!もし途中でトイレに行きたくなったら声を掛けて。大きな声でね!!」

そう言って親指を立てて二カッっと笑った。

 

++

 

バンテアイ・スレイまでは街から2時間。道は昨日のプレア・ヴィヒアと途中まで同じだ。
前日のスコールでアスファルトの穴ぼこには水たまりができ、あちこちが鏡のように光を反射している。

車と違って、トゥクトゥクに乗っていると音と匂いを絶えず感じる。

エンジンの振動、追い抜いてゆく車のクラクション。
自転車に乗る学生たちのおしゃべりやおじさんの怒鳴り声。
強い草花の匂い、川べりの水のすえた匂い、何かを燃やす匂い、牛や豚の生き物の匂い。

目やのどには容赦なく埃が飛び込む。
午前の日差しは僕の肌を焼きながら、木々の隙間にも美しく差している。

なんか、「生きてる」を実感する。

手の中には大好きな一眼カメラ。僕は一生この景色を忘れないな。

 

救急車がすごいスピードで僕たちを追い抜いて行った。
少し行くと、道の横に人だかりができている。近づくとトゥクトゥクが横転し、ドライバーらしき人がうつ伏せに倒れていた。さっきの救急車もいる。
ビッチャイが気を引き締めなおしたのが分かった。

 

 

11:08 【バンテアイ・スレイ

駐車スペースに着くとビッチャイは大きく伸びをして背中をほぐした。
二時間。一度の給油で走りっぱなしだったのはさすがにキツイはず。

 

「疲れたやろ?遠いのにここにトゥクトゥクで来てもらうのは悪かったね。」

「全然大丈夫!この距離はさほど遠くはないよ。」

そういって笑う。

 

「入り口は向こうにある。自分はあの木陰あたりにこいつを停めて待ってる。何時に落ち合おうか?」

「じゃあ1.5時間。12時半くらいにあの木陰に行くよ。」

「OK!楽しんで!」

ビッチャイはトゥクトゥクを発進させた。
僕はリュックをかついで、団体客の吸い込まれていく入り口へと歩き出す。

バンテアイ・スレイは赤い寺院だ。
周辺で採れる砂岩を使って造られていて、よく目立つ。

ヒンドゥー教寺院として造られ、アンコール朝衰退と共に忘れられていたが1914年に発見された。『バンテアイ・スレイ』とは”女の砦”を意味し、緻密で精巧な彫刻は他の遺跡と一線を画す美しさがある。

フランス人作家で政治家でもあったアンドレ・マルローがデヴァター像を盗み出して逮捕されたのは有名だ。

中に入っていく。
ここはアンコール遺跡群の中でもかなり人気で、観光客が多い。あちこちでガイドに引率された団体が説明を受けていた。
日本の団体にも会った。

びっしりと施されている彫刻。離れて見、寄って見してみる。

踊る神々。

本当に緻密に彫られている。他の遺跡群から抜きんでて美しい。

遺跡の堀で蓮を取っていた少年

 

 

++

 

バンテアイスレイから出てビッチャイのいる木陰に向かうと、彼は男性と談笑していた。
僕に気づくとその男性は、ハローとにこやかに笑った。よく陽に焼けたたくましい肌。

 

「同業者だよ。彼はトゥクトゥクじゃなく車だけどね。」

そう言ってビッチャイは僕に彼を紹介した。

少し雑談をして日本の事やカンボジアの事を話し合ったけど、微笑みながらもビッチャイは会話に加わらなかった。けど男性はそんな事にはお構い無しに僕に話しかけ、電話番号の入った名刺を渡し、次は俺の車に乗ってくれよと言った。

少しして彼の乗客がスレイから出てきたらしく、慌ただしく車に戻っていった。

 

「お話好きな友達やね。」

「…友達じゃないよ。ただの同業者さ。」

なるほど。いろいろあるらしい。

 

「さて、お腹すいただろ?そう遠くないところにいいレストランがあるよ。味も悪くない。食べに行くかい?」

 

 

12:40 【レストラン

トゥクトゥクで待つと言う彼を誘って店内へ入る。
中は南国の植物を内装に取り入れた、しゃれた感じのレストランだ。欧米人のお客が多い。
ランチタイムの賑やかさが、明るい光と相まって気持ちがいい。

 

「え!ビッチャイ結婚してるの!?若く見えるからてっきり独身なのかと…」

料理を注文してから歳の話になった。僕は彼がてっきり僕と同じシングルだと思っていた。

 

「25歳で結婚して、3歳の女の子と半月前に生まれた男の子がいるよ。カンボジアではかなりの晩婚さ。」

そう言ってスマホに保存している、可愛い子供達の写真を見せてくれた。ぱっと見、髭さえ剃れば大学生でも通りそうな感じだけと、お父さんだったとは…

「子供のために頑張って働いているよ。」

そう言っておどけて見せた。

 

カンボジアには子供のための手当てなどは全くないという。

生む、育てる。全て自分持ち。

 

「じゃあ休みの日は、子供と遊んであげる感じ?」

「仕事のお休みは年に二回。あとはどうしても身体の調子が悪いとき、かな。」

…シビアな環境だ。

 

「こーは結婚しているの?」

「いや、気楽な独り者。」

「恋人もいないのかい?」

「あー、まぁ、いろいろあって別れてん。もう数年前。」

彼はそれを聞くと、コクコクと頷いてそれ以上聞いてはこなかった。

 

僕らはコークと食事を摂りながら、今まで乗せた乗客の話とか、日本の僕の仕事、子供はいないけど甥っ子たちはいることなんかを話した。あと僕もバイクに乗っていることも。

 

「バンテアイ、スレイに行く途中、トゥクトゥクがひっくり返っていたね。ドライバーの女性、うつ伏せになってたけど無事やったんかなぁ…」

道路上でのすれ違いに見た事故現場。

 

「うん…ここではよくある事故なんだ。道が凸凹な上にかなり歪曲してるから。お客さんを乗せてなかったみたいだからまだよかったけど…救急車も治療費もバカにはならないからね。」

 

僕はビッチャイに、日本では救急車は無料であること、治療は保険を使って受けられることを説明した。そうしながら、少しの申し訳なさを感じていた。

国と国を比較してもあまり意味がないけど、自分の暮らす環境の何と恵まれていることか。
日頃当たり前だと思っていることは、日本という枠から出ればそうではない。

 

生きることは戦いだ。

ビッチャイはにこやかに笑いながら、結婚し、子供をもうけ、育てている。
その笑顔の裏には、たくさんのいろんな思いや苦労があるんだろう。

 

「ビッチャイ、今晩時間あるかな?すごく君と飲みたいと思ってたんだ。もし君が良かったらだけど。どう?」

僕の誘いにビッチャイはいつものスマイルで答えた。

 

「ただ時間が20時からでもいい?実は19時から中国語の勉強を受けてるんだ。ここ数年中国人の旅行者が多くなって。母国語を話すドライバーの方にお客さんは乗ってくれるからね。」

…英語を話せて中国語も。
ビッチャイには本当に頭が下がる。

 

++

 

「この後アンコールワットまで乗せてくれるかい?」

食後にレストラン横のハンモックスペースで二人で揺られながら、ビッチャイに言う。初日にタティに乗せてもらったトゥクトゥクツアーでは少し時間が足りなかった。もう少し見てから帰国したい。

 

気持ちよく左右に揺られながら目をつむっていると、自分がカンボジアにいることが夢のような気がしてくる。

僕は今、日本の電車の座席でうたた寝してるんじゃないかしら。目を開けると、電車内の吊りチラシや前に立つ人たちのスーツやカバンの壁が並んでいて…

 

「もちろんいいよ!アンコールワット、悪くないだろ?」

目を開けるとビッチャイの笑顔があった。後ろには、この国の抜けるような青空も。

 

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