世界の旅 韓国

百済最後の都、扶余へ~③ 忠清南道 韓国

2017/05/29

百済の実在した時代を、大きく三つに分けることが出来る。

  1. 漢城(ハンソン)時代 (前18~475)
  2. 熊津(ウンジン)時代 (475~538)
  3. 泗沘(サビ)時代 (538~660)

この時代分けは百済の都の名前が付けられている。

1 『漢城』は現ソウル市を流れる漢江の南にあった。
この頃百済は北方の大国、高句麗と激しく争っていたが、次第に高句麗に押されていく。高句麗への対抗策として百済は倭国(日本)と同盟を結ぶ。百済王から倭国に送られた七支刀(ななつさやのたち)はこの頃の物。

2 熊津城は現忠清南道公州市にある。
475年、百済は新羅と手を結び、高句麗に対抗するも漢城は落ち王は戦死。次の王は都を熊津に遷して再起を図った。

3 泗沘城は現忠清南道扶余郡にあった。
この南遷は高句麗に対しての行動であったが、百済の領土が南に広がったということでもある。この6世紀頃から新羅の国力は増し版図を拡大、次第に百済と摩擦が生じていき、二国は激しく戦うようになる。

1,2,3とも城跡は程度の差はあれ現存しています。今回僕が訪れた扶余は3番の頃の都。
それぞれの時代で都も違った感じだったようですが、ここ百済文化団地には泗沘時代の王宮「泗沘宮」、五重の塔のある「陵寺」、百済時代の生活を再現した「生活文化村」、「古墳公園」、1の漢城時代の再現村「慰礼城」などのゾーンがあります。

①番 「泗沘宮」
②蕃 「陵寺」
③蕃 「古墳公園」
④蕃 「展望台」
⑤蕃 「生活文化村」
⑥蕃 「慰礼城」

 

 

いざ、百済王宮へ!

ここが王宮の正門、「正陽門」。
泗沘を訪れる者は、まずこんな門をくぐったんでしょね~ 🙂 道には綺麗にお花が添えられています。

美しいです(^◇^)再現とはいえ、全然手を抜いていません。門の内側、二階への階段もちゃんとあり(登れません)。

 

「正陽門」をくぐるとこんな感じ。この王宮、結構広いです。正面が「天政門」といって、王の玉座のある「天政殿」への門。左上には展望台が見えてますね。

「天政門」と「天政殿」。この日は何かのイベントをこの後するようで、仮設舞台がありました。
さらに進みましょう♪
遥か昔には、この広い道にたくさんの人たちや衛兵がいたのかな。歩きながら、頭の中でたくさんの百済人たちを目に浮かべて。

 

「天政殿」内部、王の玉座がありました!天井にもびっしりと模様が入ってます。
さすがに一般人はここまで入ってくることはできなかったでしょうけど。

ここに座ってこの王衣をまとって、王は日々内政、外交など様々な事を考えては決断していったのでしょうか…権力とは責任だよなあ、なんてその重さを感じてみます。
…でもこの王衣、よく見るとちょっとユーモアが感じられるような 😀

 

 

お隣の「陵寺」にも歩いてみましょう。

塀の向こうに五重の塔。ここは韓国だけど、塔のある風景って、僕らには見慣れた感じの眺めですね(^-^)

 

陵寺の太雄殿前にはテーブルが置かれ、上にはカットされたフルーツが置かれていました。
内部からはお経の声。
そこへ僧衣を着た僧侶が丁度中から出てこられ、僕を見るとフルーツを食べるように勧めてくれました。ありがたく頂きました。
仏陀誕生日の今日、ここ陵寺にも提灯が吊るされています。


一応再現のこの文化団地で、ここ陵寺だけは普通の寺として機能してる、のかなぁ…。あの僧侶、ここの職員には見えなかったけど。

 

 

 

こちらは「生活文化村」の様子。
ここにはいろいろな階級の人の家が再現されています。

お薬を調合する方の家かな。様々な薬草が吊り下げられてますね。
歴史書に書かれている文章は全部が歴史に影響を与えた人や事件の事だけだけど、実際にはたくさんの人たちが生きていたんだよな。農業する人、モノを作る人、売る人…

毎日懸命に働いて、食べて飲んで、笑って泣いて。時代は違っても人は、か弱く、たくましく、生きてきたのかな。

のんびりと歩いてると、ふと百済時代にいるような感覚に。お花のいいにおいがします。
鶏やヤギさんも、暖かそうにのんびり。

 

 

 

「生活文化村」の奥には、百済最初期の都「漢城」の様子を再現したゾーンがあります。時代はかなりさかのぼります。
都ですが、町を土塁で囲んだ城邑です。

城門も茅葺。まだ瓦が出てきていない時代。日本の戦国時代もそうですが、石の城になる前はこういった”土”がお城の主役でした。朝鮮半島は大陸のお城と同じく、街を城壁でまるごと囲い込む”城邑”です。

土塁に沿って、百済と書かれた旗が並んでいます。たまに気持ちいい風が吹きます。
在りし日の漢城の土塁からは大きな河、漢江が望めて、河からの風がこうやって吹いていったんでしょうね~。

 

時間は一時半前。二時にはタクシーのハラボジが迎えに来てくれるので、それまでに入り口近くの百済歴史ミュージアムも駆け足で見とかないと!

 

そうそう、これ何だかわかりますか?

しびん、なんですよ。百済の出土品の中では割と有名なものです。
…めちゃくちゃユーモアありません?しびんに手足付けてるんですよ。僕は笑うより、感動しました。いやマジで。

 

 

百済文化団地はゆっくりと歩いてまわるだけで、百済という国の歴史、文化、宗教、生活を体で感じられるようになっています。

古代日本ともつながりの深かった百済。その600年に及ぶ歴史を肩ひじ張らず、楽しく学べる体験型スポットです。
僕もここに来て、百済という国をもっと深く知ることが出来ました。
扶余に来たら、ぜひここ、百済文化団地に来てみてください♪

 

百済文化団地

http://www.seoulnavi.com/special/5050490

 

 

++

 

 

タクシーは白馬江沿いを市内へ向かって戻ります。扶余のバスターミナルまでは15分ほど。外は快晴でたくさんの野の花が咲いています。

ハラボジは僕に、自分の携帯に入っている写真を見せてくれました。
これまで扶余で乗せた外国客の写真。日本人らしき人たち、欧米人、アジアンらしき人たち。みんな楽しそうに笑っています。
ハラボジは、写真撮ってもいいかい?と聞いてきた。もちろん僕は笑ってうなずきました 🙂

 

間もなくタクシーはバスターミナルに到着。
リュックを下ろして約束の写真を撮ってもらい、ハラボジとお別れ。
往復のタクシー、楽しかったです。ありがとうございました!

時間は二時半。ソウルには五時前には着けそう。予定よりは少し遅くなったけど、百済の魅力にどっぷりとつかることが出来ました。
美味しく、楽しく、温かく。本当に楽しかった♪

扶余の街、また来ます!!

 

 

++

 

 

幸い帰りのバスは、行きのようなぶっ飛ばしバスではなく安全運転でした(^.^)

予定通り五時前にソウル東部バスターミナル到着。そこから地下鉄3号線に乗って鍾路3街駅へ。
二日目の今日はモーテルではなく、ドミトリーの部屋もある”イエローブリック2ホステル”を予約してます。

 

今回はドミトリーベッドではなく、シングルルーム。最近シングル予約することが多くなりました。歳かなぁ。寝るときは真っ暗静かに、が好きなこーです(笑)

 

ベッド、サイドテーブル、ユニットバス。
部屋は狭くはあるけど、シンプルで必要なものは全て揃ってます。リュックから荷物出して広げても余裕あるしね。

部屋に入って水回りをチェック。
トイレが流れるか、シャワーは?お湯は出る?綺麗なホステルでも水回りの不備は結構あるので、部屋にチェックインしたらすぐに確認しときます。

 

よし、OK。

リュックから余分な荷物を出したら、早速出掛けましょう♪
のんびりお散しながら、今晩はソウルの有名な在来市場「広蔵市場」で市場ご飯しまっす《*≧∀≦》

 

 

方向は逆だけど、ソウルの有名な通り”仁寺洞(インサドン)”をお散歩。
ここは伝統工芸品や伝統茶屋などが集まる通り。もちろんグルメなスポットもたくさんあります。

…って人多!!さすが休日。「伝統的」ってのが全く表現できてない写真ですな。
とにかくホント人が多い。こりゃ広蔵市場ももしかしたら…(-_-)嫌な予感が。

とにかく、友人のお土産だけ買って市場に向かお。

思わず買ってしまったこれは「ケランパン」。屋台で売ってます。
”ケラン”とは卵のことです。バターの効いたパンの上に半熟卵をオン。100円もしないけど、これがヤバウマ(>_<) ガツガツと5個くらい食べたい感じ。

 

 

広蔵市場

 100年伝統 広蔵市場

この光蔵市場は国内最初の市場として1905年に開設されました。他の市場が「週に何回」などのオープンだったのに対して、ここは「いつも開かれている」常設市場だったのだとか。

 

市場内には本当にたくさんのお店が入ってます。日用品から雑貨、韓服を掛けて売ってる店もあれば八百屋、肉屋、魚にお餅…もちろん辛そうなキムチもありますよ 😳 

どんどん進んでいきましょう〜(^^)/

 

 

すでに書きましたが、今日は韓国ではブッダ誕生日を祝う日。だけど日本は日曜日。もちろん中国も。明日は日中韓、みんな仕事だよね~。


しかし…

…なんじゃこりゃ~\(◎o◎)/!めっさ人多いやん!!!

いや、多すぎちゃうん、これ。分かりますか?通りの真ん中にテーブルあって食べてる人いるんですが、人の川に残された中洲やん(''Д'')

 

…いや、もうちょっと進めば人もまばらになるやろ、うん。

 

マジか、マジなんかこの人波…。年末の黒門市場かここは(年末行ったことないけど)。

くっ…。こうなったら回遊魚のごとく、ぐるぐるぐるぐる何回もまわって、席が空いたら「いらっしゃい」の”い”を言う前にソッコー座ってやる!!

 

2、3周位した後、席取りゲームの様に座席ゲット!座って早速チヂミとビール、細いキンパッを注文。
でも食べてる最中も奥から出る人を通したり、また入る人の為に立ったりと全く落ち着かず…(-_-)
結局すぐに出ました。
こんだけお客さん多かったらしたかないよな 😐 しかしここまで混雑してるとは。丁度ご飯時に向かう時間帯やもんな。

 

どうしようか。食堂でご飯食べるには、半端にチヂミとかつまんじゃったからなぁ…

…ふむ。あれ買って、宿で飲むか(☆▽☆)

 

 

 

さてここで問題。

ごく最近まで日本でも馴染みの食べ物でしたが、今となっては日本では食べられない食べ物とは一体なんでしょーか?ヽ(^o^)丿

 

 

 

 

答えは…

 

 

 

 

 

 

 

 

こちら!!

 

肝!!

 

生レバー。レバ刺しです♪韓国ではセンガン(生肝)といいます。(写真グロイかな…)
広蔵市場にはユッケ、レバ刺しを美味しく頂けるあ店が数店舗集まっています。
日本のガイドブックやネットでも話題で。いつもたくさんのお客さんで賑わっています。

 

 

美味そ〜《*≧∀≦》

ちなみにこれは僕ではありませんよw。YouTubeからです。
説明がありましたが、こちらではまず受付で番号札をもらい電工掲示板にその番号が出たら入店するシステム。

韓国ではユッケには細く切った梨が入ります。え!?と思うかもしれませんが、梨の爽やかな甘さがユッケをさらに美味しくしてくれるんですよ〜 😀

 

中で食べたらいろいろあるんだけど、混んでるお店で食べるの一人ではゆっくり味わえないし、今回は宿に持ち帰りで。
店頭に持ち帰り用の窓口があるので、そこで注文すればすぐに買うことができます。待ち時間ほとんどナシ♪

今日はレバ刺しで!宿の近くに小さなスーパーがあったから、そこで酒とお菓子も買って、宿飲みするで〜(о´∀`о)

 

 

++

 

 

宿に戻ってビールで生レバしながら、今日一日を振り返ります。

 

そういえば今日も観光に夢中で昼飯抜いちゃったな。旅行って結構知らない内に体力使ってるから、ちゃんとご飯は食べとかないとな~(''_'')

 

 

朝日の中扶余の宮跡を歩いて、市場や住宅街を歩いて。

朝御飯の食堂のおばさんや扶余の遺産、文化団地で遥かな歴史に触れられたこと。

その国の過去を知ることは、その国の今をよりよく知る事につながる。

いろんな国の今を知ることは、きっと僕のこれからにいろんな影響を与えてくれる。

 

 

っとレバ刺しパクっ。

 

僕は思う。
レバ刺し食べるときの、ごま油に塩入れたやつ。これ考えた人天才やと思う。その香りと塩の味。レバ刺しは絶対これ一択。

 

 

さあ明日見る予定の場所は、百済と激しく凌ぎを削った大国、高句麗の文化に触れられるところです♪
楽しかった今日に、焼酎も開けて。

 

も一度コンペー!(カンパーイ)ヘ(≧▽≦ヘ)♪

 

 

 

~④へ続く

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