世界の旅 韓国

百済最後の都、扶余へ~④ 高句麗鍛冶屋村 京畿道九里市 韓国

2017/05/29

今回の旅のテーマは”百済”と”扶余”だけど、今日のスポットの”高句麗”について少し。

高句麗(こうくり、ハングル:고구려、朝鮮語:Goguryeo [koɡuɾjʌ]:コグリョ、紀元前37年 - 668年)または高麗は、現在の中国東北部の南部から朝鮮半島北中部の、ツングース系民族による国家。最盛期は満洲南部から朝鮮半島の大部分を領土とした。三国時代に新羅や百済と共に朝鮮半島を割拠し、隋や唐等の中国王朝や倭国と勢力を争った。

ーwikiより抜粋

最大版図の西暦476年ごろ。建国以降、百済、新羅と覇権を争いながら、歴代中国王朝とも時に争い、時に服従しながら強くしなやかに存在しました。強大な中国の”隋”や”唐”の攻撃をもはじき返すほどの軍事国家でした。
百済が滅ぶ三国末期には、高句麗は百済、倭(日本)と同盟を結び、新羅、唐の連合と対抗していました。

 

僕にとってかなり魅力的な国だったわけです。改めて高句麗の旅もしたいのですが、高句麗の遺構や城は中国にあるので中国の旅になりますね 🙂

 

 

高句麗鍛冶屋村

現ソウル市の東部、九里市にあります。
ソウルの地が475年まで百済の都だったのは書きましたが、その為晩期には激戦の地となります。高句麗は漢城を陥落させるために九里市の山にいくつもの砦を築き百済に圧力をかけました。

この「高句麗鍛冶屋村」はその砦の一つがあった峨嵯山の麓に作られています。

 

 

アクセスは、地下鉄「江辺」(カンビョン)駅から九番のバスに乗り「ウミネ」バス停で下車。

江辺駅のバス乗り場は道を挟んで向かいの建物です。少しわかりにくいですが、インフォメーションで聞けば図にかいて丁寧に教えてもらえました。
バスに乗り込んで、ドライバーのおいちゃんに「ウミネ」に着いたら教えてもらえますかと韓国語で伝える。そしてできるだけ運転手の近くに陣取る。
たまに忘れられることもあるけど、この方法で僕はいつも田舎の方に行きます。そうすればアナウンスが聞こえなかったり、アナウンスのないバスでも「ここだよ~」て教えてもらえますから 😀

 

バスの車窓からは漢江の川の流れが見えます。陽の光がキラキラ反射して綺麗。車内はソウル市内から離れるほど乗客は少なくなります。
景色に見入っていると、ドライバーのおいちゃんが

「鍛冶屋村に行くのかい?」

と声を掛けてきました。僕が歴史が好きなんですと伝えると、

「それはいい。たくさん見て楽しみなよ。」

とうなずいてくれました(^^)
バスを降りてから鍛冶屋村までは立て札や標識が結構出てるので、少し歩きますが迷うことなくたどり着けます。

こちらが江辺バス停。鍛冶屋村の事が書かれていますね。標識には日本語も書かれています。

こんな山道を10分ほど歩きます。山道と言ってもアスファルトで、途中までは普通の住宅もありますから女性でも不安はないですよ。
写真の建物が見えたら、そこが受付です。
(※現在鍛冶屋村は無料になっていて、受付には誰もいないです。)

 

実はここ「高句麗鍛冶屋村」は様々な韓国時代劇の撮影でも使われていて、「冬のソナタ」のヨン様が時代劇初出演した「大王四神記」という作品の撮影も行われました。ファンタジー要素を交えた高句麗王のお話。
それ以外にも韓流スターの出ている作品が多く撮影され、一時は日本のファンなども多かったようで、こういう日本語表記がしっかり書かれているようです。

 

入口には周辺の遺跡から出土した文物を展示する建物が。

高句麗は製鉄の技術を持っていました。武器、農具など”鉄”によって高句麗は周辺部族とは一線をかす軍事強国となっていきました。馬上で体を安定させるための”鐙”は、ローマより300年も早く作り出していたのだとか。
韓国で記録的ヒットとなった歴史ドラマ「朱蒙(チュモン)」でも、鉄を作り出す技術を苦心して生み出すシーンが描かれていました。

 

では、さっそく「高句麗鍛冶屋村」へゴー(^^♪

入り口はなかなか急な坂道から。真ん中には階段が作られています。僕が訪れたこの日は、小学生たちが先生に引率されて校外学習に来てましたよ(^-^)
坂を上がりきるとこんな土塀づくりの家々が現れます。
そうそう!この景色、僕もドラマで見た!!テンションぐわーっと上がります!!ヾ(≧▽≦)ノ

 

 

水車のある立派な建物。大迫力です!!さすが撮影で使われた場所。

こちらは鉄をつくる鍛冶場。
窯には風を送るふいご、天井には滑車や剣を打つ金敷もあります。
きっと炎の熱で熱かったやろなあ。汗みずくになりながら鉄を作ってたんだろな~なんてパンフ見てたら、この鍛冶屋村、最初は九里市がほんとの鍛冶職人呼んで鉄を打つ場所にするつもりだったとか!だから機能的には本物の鍛冶場らしい!!

まさに男の仕事場!!

見ながら僕は「最高!」、「すげー!」を繰り返しながらウロウロ。萌えまくり、ホント。
確実に、来てた小学生たちより子供と化してたと思う… だって楽しいんやもーん♪(´∀`*)ウフフ

ここここ!!!確か見た時代劇で、この石の階段のドアの前で、主人公が敵の追手を迎え撃ってたよ~(>_<)
現地で見ると感無量やわ~!!!ちょっと人が来ない時に同じポーズしてみよか♪

 

ってあれ、なんかロケ地巡りになってる?、僕…(笑)

ここは紙を作る場所みたい。現代は紙はいくらでも安く手に入るけど、大昔はさぞや貴重なものだったに違いない…
この二人は全然興味なさそうやったけど。君たちも、おっさんなったら興味湧くかもねw

 

 

多くの韓国時代劇でロケ地となったここ、「高句麗鍛冶屋村」。
江辺駅からバスで15分、下車して10分くらい。ソウル市内からそんなに遠くなく、歴史の勉強としても、ロケ地巡りとしても楽しめる♪

入場料は数年前から無料になり、少し場内は手入れが雑になってるところも見受けられますが、映画の美術監督によってリアルに再現された鍛冶場、調度品などはまるで遥か昔の三国時代にタイムスリップしたような感覚にさせてくれます。

韓国には数か所、ドラマロケで使われたテーマパークがありますが、鍛冶場を再現したのはここだけ!
韓国歴史ファン、韓流ドラマファンのみなさん!もちろんテーマパーク好きな方!「高句麗鍛冶屋村」、必見です!!!

 

 

 

 

++

 

 

「高句麗鍛冶屋村」目一杯楽しんでソウル市内に戻ってきました。
時間はお昼近く。今日は帰りの飛行機が15時30分ソウル仁川空港発だから、お昼食べたら空港へ、かな。

百済、扶余の旅最後のランチは何食べようか…

 

…ふむ、ここは散策もかねて、美味しいものがいーろいろある「南大門市場」へ行ってみるか♪

 

南大門市場

「南大門市場」はソウル市中区の崇礼門(南大門)の東に位置する巨大な総合市場です。
この崇礼門辺りの市場の歴史は古く、豊臣秀吉の朝鮮出兵である文禄・慶長の役が終わった1608年ごろから記録が残っています。

一万軒以上の店が市場内にあり、食品、衣類、雑貨にお土産など、”ここにないものはない”と言われるほどの一大ゾーン。ソウルではここと「東大門市場」が二大総合市場です。
ちなみに「東大門市場」には一晩中開いてる百貨店のようなファッションビルがあって、夜を徹してお買い物や食事なんかを楽しめます。

 

以前「東大門市場」は行きましたが、「南大門市場」は今回初めてです。
ゆっくり時間をかけて市場内を散策したいのだけど、今回は時間的に無理やな…美味しく食事して、散策はまたの機会かな(^.^)

こちらが崇礼門(南大門)。市場の名前の由来となった城門です。

すごく綺麗でしょ?
実はこの門、残念ながら2008年に放火で焼失してしまいました。現在の門は2016年に復元、完成した新しい門です。
古くはなくなったけど、その立派な門構えは見事に蘇っていますね(◎o◎)

 

崇礼門から市場へ入っていきます。今回はじっくりと散策する時間がないので、食堂が多いエリアへまっすぐ向かう。
お昼時はどこも人が多い。人気店なんかは並んでいます。
そういう店もたまにはいいけど、次の人が待ってる店でのんびり食べたりは気が引けるし落ち着かない。だから僕はあんまり行かない。もちろん空き過ぎの店はハズレも多いから、そこはいちかばちか。その時の気分次第。

今日はこの旅最後の食事だし、できればハズレは引きたくない。
ウロウロ歩き回って、最終的には地元の人、市場の人たちが多く食べてていろんなメニューがある食堂へ。

中は市場の人たちや家族連れ、交通整理の腕章着けた人たちも。

うわ~、まだグツグツ煮えてるよ!!

韓国の食事ではずさない物を食べるなら、僕はスープだと思う。
特にこの『参鶏湯』はどこで食べても美味しい。それぞれの店で微妙に味が違って。朝鮮人参や様々な漢方食材は独特の香りや味があって苦手な人には厳しいかもしれませんが。

焼酎も付けて(^-^)
日本の焼酎は苦手だけど、韓国の焼酎は口当たりが甘めで飲みやすい。辛い食べ物にもこの甘さが合うんですよね~。

鶏の美味しいだしと、いろんな薬味の味がじっくり出てる参鶏湯。肉はホロリと柔らかく、お腹にはもち米やニンニク、朝鮮人参にナツメなどいろんなものが詰め込まれてて。体に悪い訳がないヽ(^o^)丿あっという間に完食。

 

美味しく食べて、お酒で気分は上々♪いや~、昼酒はよくまわるなあw
もう少しなら散歩、大丈夫やな~。歩いてみよっ♪

韓国はこんな感じで服売ってる横で食べ物屋があったりします。日本では分けられてること多いですが。汁が跳ねたり、はしないんでしょね(*^。^*)

こちらはお土産に買った、「クルタレ」のお店のご夫婦。何とも優しそうなご主人とユニークな奥さん 🙂
イモトさんも来店されたみたいですね~(笑)

「クルタレ」というのは、その昔大様が食べていた宮廷菓子だそうで、数年前韓国で大ヒットしたんだそうです。
熟成させたはちみつを手で何回も伸ばして、細ーい糸状にしたものにナッツ類を巻き込んだお菓子。その過程を店頭でパフォーマンスしながら販売するのがクルタレ屋さんのスタイル。近くに数件ありました。もちろん買うときに、僕も見せて頂きましたよ\(◎o◎)/!
それがまた楽しいんです♪

こちらは僕が買った店ではないですが、クルタレのパフォーマンスが見られます 😀

もちろん味見もさせてくれます。細く伸ばしたものなので、甘さが上品で中のナッツとあいまって楽しい食感。美味しいですよ~(^-^)

 

こちらは豚足のお店。こんがりといい色の豚足がてんこ盛り~。
南大門市場はこの店のように、日本語表記の店がたくさんあります。韓国語が分からなくても十分にお買い物や食事を楽しめますよ。パン屋さん、キムチ屋さん、もちろんキンパッやトッポッキなどの韓国B級グルメもいっぱい(*^。^*)

美味しいご飯食べて、お店をひやかしては買い物し、甘いものも食べて~。
南大門市場、一日韓国の市場を楽しめますよ~♪

 

 

さて、時計は一時前。少し探索し足らないけど、飛行機の時間があるのでそろそろ空港へ向かいましょう。
続きは次回ソウルを訪れた時のお楽しみに~ヾ(≧▽≦)ノイエ~ィ

 

 

百済が唐、新羅連合軍に滅ぼされた8年後、孤立した高句麗もまた滅んだ。
軍事クーデター、後継者争いで百済同様、国政は乱れていたという。

その後朝鮮半島に勢力を伸ばそうとした唐を追い返して三国を統一した新羅は、その後約300年間続いた。

 

 

旅後記

今回のテーマは『古の国百済の都、扶余を訪ねて』でした。
倭の国(日本)とも関係の深かった百済。滅ぼされた後、難を逃れた百済の王族や遺民は日本に逃れた人も多く、地位を得ながら社会に溶け込んでいきました。「百済王」氏、「秦」氏などの氏族が生まれ、百済寺などが存在しました(百済寺は現存)。

今回訪れた扶余の街には、1200年前の扶蘇山城、そばを流れる白馬江、街中には歴史ある寺院跡や百済の宝を保存する国立博物館などがあって。
大昔の遺産が街を取り巻き、現代の街がそれをしっかりと受け継いでいる。お城がしっかりと内側の街を守るように、お互いを大切に包み込む。そんな雰囲気を僕は滞在中ずっと感じていました。

そしてそこで出会った人たち。じんわりと、まるでよくだしが出た滋味深いスープの様に(^-^)。
守り、奪われ、滅びて。興ってはまた消えていく。それでも受け継がれていくもの。
遠い百済の記憶を今の僕に感じさせてくれた扶余の人たちは、強さと優しさをも僕の心に注いでくれたような気がします。

 

キラキラした現代の街と、遥か古の国々の町を重ね合わせながら。
食べて、買って、癒されての韓国旅に少し飽きたなら、悠久の時間を感じる歴史旅、いかがですか 😉

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