世界の旅 韓国

百済最後の都、扶余へ~① 忠清南道 韓国

2017/05/29

韓国の旅も六回目。いろんな人と出会えて、たくさんの優しさに触れられました。(2016.5.13~5.15)

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今回の旅はその昔、忠清南道にあった百済の国最後の都、扶余を旅してきました。
扶余と書いて、韓国語で「ぷよ」と読みます。
今回の日程にお釈迦様の誕生日である「ソッカタンシニル」が含まれていて、あちこちのお寺で提灯が提げられていました。

中国に三国時代があったように、昔の朝鮮半島にも三国が争う時代があった。
時は五世紀。

北方に、今の中国東北部の南から朝鮮半島北部の広大な領土を持ち、紀元前より中国と争っていた強国、高句麗。

半島南東部には、後に中国の唐と協力して朝鮮半島を統一する、新羅。

そして南西部に、当時の日本と同盟を結んだ文化大国、百済。

今回の目的地、扶余を都に持つ百済は、日本に仏教を伝えた国として有名です。当時の扶余は「泗沘(サビ)」と呼ばれていました。
百済建国当初は今のソウルのある漢江という大河の流域にありましたが、次第に高句麗の勢いに押され南へ移っていきます。だんだんジリ貧にになっていくんですね…

この辺り。

扶余へのアクセス

  1. 関西国際空港~仁川国際空港~ソウル南部バスターミナル
  2. ソウル南部バスターミナル~扶余市外バスターミナル

仁川国際空港は韓国の北の玄関口。そこから江南にある南部バスターミナルまで地下鉄で。
バスでは南部バスターミナルのほかに、東ソウル総合バスターミナルからも高速バスが運航しているようです。

また鉄道も、KTX(日本でいう新幹線)がソウル駅から忠清南道の公州駅まで出ています。そこからタクシーで30分ほど。
詳しくはこちら。韓国旅行のコネストさん。よくお世話になってます。

僕はここ最近は、神戸空港にある高速船、神戸-関空ベイシャトルを使って関空に行きます。往復割引がついて3000円。以前は三ノ宮からリムジンバス使用だったけど、交通事情に左右されないのと、飛行機に乗る前に船に乗るというのが二倍贅沢な気がして。もちろん船だから天候には大きく左右されちゃいますけどね。

 

++

 

江南にある南部バスターミナルは仁川国際空港からは地下鉄で1時間ほど。できるだけ早く扶余観光を始めたいので、ターミナルにある売店で韓国海苔巻きを買って乗り込む。

韓国海苔巻きはキンパッと呼ばれ、海苔は韓国海苔を使っている。ゴマの風味でどこで食べてもはずれがない。
急いでいて食事する時間がない時によく食べる。1本1500W(150円くらい)

バスに乗り込み扶余を目指す。ここからは二時間半の道のりだ。高速バスは新しくはないけれど、2×2シートでゆったりとして寛げる。
扶余が田舎の地方都市だからか、乗客は中高年の方々。若い子はほとんどいない。

やがてバスは走り出し、外の風景は街中から高速道路に変わっていく。

…えらくスピード出してるな。

高速だしこんなもんかと思ってたら、バスは周りの車をどんどん追い越していく。このバスだけえっらいスピードやん!!(''Д'')
この運転手、いつもこんなスピードで高速ぶっ飛ばしてんのかな。それともたまたま今日は虫の居所が悪いのか!?

消して遅いわけではない他の車を追い抜き追い抜き、二時間で扶余のバスターミナル到着。運ちゃん、工程を30分も短縮してしまった。まぁ街を観光する時間が増えるのは嬉しいんだけど。
あんまりしょっちゅうは乗りたくない運転だね。帰りは別の運ちゃんにあたりますように…

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扶余のバスターミナルは地方にしてはなかなか大きい。プラットフォームが6,7つ位に売店とコンビニ。
リュックを担いでバスから降りる。
五月の午後の、生暖かい空気。最初に目が合う現地の人の目は、いつも僕に他の国に来たのだと実感させる。ぐっとリュックを担ぎなおす。

扶蘇山城

扶余は街の西を流れる白馬江(錦江)に沿うように作られた街で、北の扶蘇山には非常時の詰めの山城、扶蘇山城がある。
今はのんびりとハイキングできる公園になってます。標高は106m。この公園内に見どころが点在します。
入場料は2000w(200円)

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泗沘(扶余)は538年、百済中興の祖聖王によってひらかれた。王宮は西に錦江(白馬江)、北に扶蘇山に囲まれた天然の要害である。

山門に至る前には王宮跡の遺構がこのように残されていて、かつての広大さを想像させてくれます。
山門を越えてからは山城歩きに。綺麗に整備されてはいますが、歩きやすい靴の方がいいですね。

 

三忠祠。滅亡迫る百済を最後まで支え続けた三人の忠臣を祀っています。

最後の鎧を着た武将は階伯(ケベク)将軍といいます。打ち寄せる敵の大群を数度はじき返し壮烈な最期をとげた方で、韓国ドラマにもなっています。
僕は今回、このドラマで扶余行きを決めました(^.^)
韓国ドラマ「ケベク」

 

660年、入念に準備した中国の唐は半島東部の新羅と足並みをそろえ、怒涛の勢いで百済に攻め込む。
百済王義慈は酒食におぼれ国を退廃させていた。唐と新羅の攻撃に忠臣達は奮戦するも、百済は滅亡する。

百済の王宮にも唐の大群が押し寄せました。この写真の場所は「百花亭」といい、「落花岩」の上に建てられました。
「落花岩」、読んでの通り敵に辱めを受けまいと3000人もの女官がここから白馬江に身を投げたと言われる場所です。
チョゴリを着た女官が飛び降りるさまが、花が舞い落ちるように見えたからだとか。

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写真中央上のちょっととんがってるのが「百花亭」。なんとも哀れなお話です…

百花亭を下れば皐蘭寺。丁度仏陀の誕生日である「ソッカタンシニル」を明日に控え、このお寺もたくさんの提燈が。
ここには一口飲めば、三年若返ると言われる湧き水、「皐蘭薬水」がありました。

 

白馬江遊覧船

山を下り切ればここに着きます。さあ、やっと船着き場にきました!
ここは白馬江を船で遊覧できます!ここ、ここ、ここで船に乗ってみたかったのよ! 😆 白村江を感じたかったのよ!(笑)

百済は滅んだものの、抵抗するレジスタンスは倭に滞在していた百済太子、豊璋を立て百済再興を倭に救援を依頼。
時の斉明天皇と、大化の改新で有名な中大兄皇子がこれを受け派兵を決定、663年に参戦する。

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倭軍は錦江をさかのぼり泗沘を目指しますが実際には王都に近づけたわけではなく、錦江に入ってまもなく唐軍と交戦。当時の造船技術は圧倒的に唐の方が優れており、倭軍は壊滅に近い損害をうけ敗北します。
この後唐の襲来を恐れた倭は、九州沿岸に防備の防人(さきもり)という守備兵を置くようになり、西日本の九州及び瀬戸内海沿岸に朝鮮式山城を築くきっかけになりました。
これらの山城跡は、今でも程度の差はありますが四国や九州、岡山などに残っています。

遊覧船は船着き場から、扶蘇山城麓の王宮跡から少し歩いたところにあるクドレ公園までの10分間の旅です。
片道4000w。往復だと6000wです。城に登らず遊覧だけ楽しむなら往復券で。

 

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一日目の観光は、少し駆け足になったけど見ることが出来ました。
船を下りるとだんだん日が傾いていきます。

ゆっくりと麓の王宮跡を歩いてみる。
今は広っぱになってるこの場所に、宮殿やたくさんの屋敷、倉庫や池や多くの貴族をイメージしながら。

今僕がいるこの立ち位置に、同じように立って何かを考えた人もきっといただろうな。
その人には家族や部下や、大事な人たちが僕と同じようにいて、今日あったこと、明日や来月や、もしかしたら遥か先の未来のことも少しは考えたこともあったかもしれない。僕が遥か昔をおもって、今ここに立っているように。

 

 

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のんびり歩いていると、急に腹がグーッとw
そういえば昼はキンパッ一本で済ましたんだった。
さぁ!扶余での晩御飯!何を食べようかな。

 

扶余の街の名物料理に、米を蓮の葉で蒸した蓮の葉ごはんがあります。仏教が盛んだった百済では、それが食にも影響を及ぼしたらしい。
豆や栗松の実やカボチャなどを米に入れ、蓮の葉で包んで蒸していて、ほのかに蓮の香りがご飯に移って優しい味なのだとか。998523_largeImage_1

 

へー…でもさ、肉食べたい、肉ヽ(^o^)丿
朝飯はパン、昼飯はキンパッ。炭水化物ばっかやったしね。夜は肉やで、肉 :mrgreen:

とりあえず街をふらふら歩いて結局また扶蘇山城近くに戻ったら、こちらの店が目につきました。

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光で見にくいけど、店名は「扶蘇山カルクッス」と書いています。”カルクッス”というのは日本でいううどんです。看板には他に山菜ピビンパ、豆乳スープの冷たいうどん、コンクッスもあるみたい。

そして僕が目を引かれたのは、”スユク”。これは豚肉や牛肉を湯がいて薄切りにしたもの。
これでーす!

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釜山で初めて食べてから虜になってます!

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この湯がいた豚肉をサンチュにキムチや写真右の薬味(にんにく、青唐辛子、アミなど)を包んでバクっと!

これがもう、最高にうまい!!
ジューシーな豚肉の旨みと柔らかさ、キムチの辛さ、旨み、歯ごたえが口の中で一体となってブワーッと幸せな肉食ってる感に包まれます(>_<) これ食べたらビールがススムススム(笑)
釜山では切り干し大根のキムチ(スユクの真ん中にあるやつ)がスユクに付いてきたことはなかったので、この地方独特なのかもしれません。右上の辛そうな汁に浮いた葉っぱは水キムチです。それほど辛くなくて、食べると口がすっきりします。

 

この「扶蘇山カルクッス」、僕が入店したのは6時をまわっていたと思うのだけどお客さんはゼロ。外からのぞいても誰もいないのがわかったんだけど

  • 店内は広くて小上がり席がゆっくり落ち着けそうだった
  • 百済王宮跡を見ながら食事ができる!
  • 外の看板のスユクの写真から離れられなくなったw

この三つが決め手となりました。
店に入って奥にいたオモニに食事できますか?ときくと

「もちろんよ、入って入って」

オモニにっこり。僕がすぐに

「スユクください!」

というと

「それにはね、ご飯がついてないのよ。白いご飯もあるけど、お勧めは山菜ピビンパと石焼ピビンパね。どっちも美味しいわよ」

ハングルが片言(どころではない)の僕に、ゆっくり話してくれる。僕が山菜ピビンパを頼むと、オモニは厨房で用意を始めた。
やがて料理が来て、スユクをバクっと。うまいやん!!お肉もとろっと湯がけてて、キムチは少し酸味が強かったけど、めっちゃ美味しい。なんで客来てないんだろ?

ピビンパはいろんな山菜がたくさん入ってる器に、ご飯をINしてコチュジャンとともに混ぜる!

これまたうめー!ヾ(≧▽≦)ノ ごま油の香ばしさが、日本のそれとは比較にならないくらい良い香り。使ってるごま油ほしいくらい!めっちゃうまいですよ!

 

やがて別のお客さんも入店。そら来るよね~!うまいもん、ふつーに。
僕がうまいわ!とか独り言言いながら飲み食いしてると、手の空いたオモニがやってきて僕の向かいに座り、

「日本から来たの?いつここに来たの?」

と笑いながら話しかけてきた。今日着いたこと、神戸という街に住んでること、歴史が好きで百済を知りたくてきたことを身振りもまじえて話した。
オモニは昔、少しの間大阪に住んでいたらしい。懐かしそうに微笑みながらオモニは言った。

「観光パンフレットは持ってる?今日扶余に着いて、どこどこ周ったの?」

僕が見て周ったところにチェックを入れると、オモニは

「泊まってるのは?ああ、あのモーテルね。じゃあね、明日はここと、ここと、ここは外さず見た方がいいわ。百済の宝はここに展示されてる。ここの蓮も必見。周る順番は…」

とても細かく、パンフに載っていないことまで教えて頂きました。
そのうち話は僕の家族のことや、嫁がいないことを聞いて、あらまー、なんでもらわないの~とかいう話で盛り上がりw
お客さんが増えると、奥からアボジも出てこられてお店を手伝い始めました。

お腹も満腹、明日もあちこち周るしそろそろと立ち上がると、オモニがアボジを呼んで

「綺麗にたいらげてくれたわよ~」

と笑って紹介してくれました。お金を払って出る時には、

「また扶余に来たら、ご飯食べにいらっしゃい」

って。本当に、心もお腹も幸せで一杯に満たされた晩御飯でした。ごちそうさまでした!

 

++

 

酔い覚ましと満腹ならしに夜の扶余を軽く散歩してモーテルに戻りました。
町の南には、階伯将軍が手を挙げて今の扶余を見つめていました。
おやすみなさいを言って、僕はモーテルに戻りました。

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二日目、②へ続きます。

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