「記憶の中に浮かぶ島」 兵庫県姫路市家島町
2019/05/21
「家島から引っ越してきました。よろしくお願いします。」
先生の後から入ってきた女の子は、蚊の鳴くような声でそう言った。
夏休み明けの小学校の教室。
真っ黒に日焼けした僕たちみんなを前にして、転校生は俯いている。
泣いちゃったのかな…
みんなそう思ったのか、黙ってその子と先生を見ている。先生が席を指すと、彼女はおずおずとそこへ行き席についた。
のんびり島旅なんていいなと思いながらネットで瀬戸内の島々を見ていた時、僕は突然小学校だった頃のある朝の教室を思い出した。
今はもう顔も覚えてはいない、あの転校生。
先生の陰に隠れるように現れた女の子。初日はずっと俯いて黙ってたっけ…。
確か”いえしま”だったよな。引っ越してきたの。
神戸からこんなに近いのに、まだ行った事ないや。あの子の生まれた島。どんなとこなんだろ…
記憶を辿るように、僕は家島行きを決めた。
家島
家島は姫路の沖合15KMに浮かぶ40あまりの島々の内の一つだ。
家島を含む4つの島、家島、坊勢島、男鹿島、西島に人が住む。家島諸島の全人口中、6割の人がここ家島に集中している。
旅人が訪れるのも主に家島本島で、坊勢島は釣り、男鹿島は夏場の海水浴、西島はキャンプがメインらしい。
「お船で海を渡ってから、電車に乗ってここに来ました。」
転校生はそう言っていた。
家族でフェリーに乗って淡路島に行ったことはあったけど、それすら小学校低学年だった僕には遥か遠い旅行だった。
彼女の言った”海を渡って電車に乗って”は、当時の僕には外国から来るのとさほど差はなかった気がする。
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家島へは兵庫県の姫路港から船が出ている。それに揺られること約30分。
家島に2つある港の一つ、真浦港に着く。
「ここが家島か。」
降り立ったその島は、さっきまでいた姫路の街とは全く雰囲気が違っていた。
道端でトロ箱にイカやエビを入れて売っている女性がいる。
向こうの電柱の傍では、おばあさん二人が挨拶して井戸端会議が始まった。
その横をネコがゆうゆうと道を横切っていく。
…空気が、凪いでいる。
転校してきた初日は、クラスの女子たちに質問攻めにされていたけど、2,3日でそれはなくなった。
小さな声でおとなしいから、給食の取り方わかるかなとか、体育館の場所、特別棟への行き方は、なんて勝手に気にしてたけど、どうやら気の合う友達を見つけクラスになじんだみたいだ。
相変らず声は小さくて目立たないから、あっという間に最初からいたようにみんなに埋没した。
真浦港から西へ延びる商店街の路地を入っていくと、道は枝分かれしながらあちこちへと延びていく。
気の向くままに歩く。すぐに道は登り坂になった。
斜面にへばりつくように民家が建っているから、道は細く不規則で迷路のようだ。
人の住処のはずなのに、誰もいない。静かだ…
「それが珍しいですか?」
写真を撮っていた僕に、家から出てきたおばさんが言ったのでびっくりした。
「ポンプ二本あるでしょう?一本は壊れているけど、もう一本は今も水が出るのよ。」
野菜を入れたかごから別の袋へせっせと移し替えながらにっこりとする。
「そういう古いものはあるけどねぇ。田舎の島だから。まあのんびり見ていってね。」
笑っておばさんは路地に消えた。錆びたポンプと僕が、また静かに残された。
これは『どんがめっさん』という亀の形の石。
遠くでかけてしまった主の帰りを待つ亀が、いつしか石になってしまったのだと言い伝えられている。
頭を100回撫でると願い事が叶うらしい。
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迷路のような路地をひと回りし、時間は1時半。写真撮ってたらまた昼を食べるタイミングがずれてしまった。どこかお店を観光案内所で訊いてみよう。
「島内に食事のできるお店は数軒あるけれど、お魚を食べるなら2000円くらいからですね。魚じゃなくてなんでもいいなら、この湾に沿って歩いて行けば中華料理屋がありますよ。きょうは運動会だから開いてるかどうか分からないけど…」
そうですか。あ、あとここから家島神社まで歩くと何分くらいかかりますか?
「歩きでも30分くらいで行けますよ。ずっと湾に沿って歩いてください。」
無理に食事をすることもないか。30分なら全然平気だし、漁港の空気を感じながらカメラ片手にのんびりお散歩しよう。
朝は晴れていたのに昼前から曇り空になった。
リュックを背負った背中にじんわり汗が伝う。
湾には本当にたくさんの漁船が係留されている。今日は漁はお休みなのか、朝に出てもうみんな帰ってきたのかな。
実際のところ、転校生の彼女が家島本島に住んでいたのかは分からない。お隣の坊勢島だったのかもしれない。『家島』とひとくくりにしていたかも。
ただこの島の空気は、僕が覚えている記憶の中の彼女の雰囲気にぴったり合っている気がする。
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湾を隔てて真浦地区のちょうど向かいが宮地区になる。湾沿いにはたくさんの漁船と家々。民宿もある。
ここに家島のもう一つの港、宮港がある。
姫路から着く船は真浦港に着いた後、宮港に入る。帰りはここから船に乗ろう。
宮港を過ぎると小さな町工場が点在している。裏手はすぐに山があって、海辺には漁で使う網を修繕している漁師さんが見える。
いい意味で”ひなびた”という言葉がしっくりくる。
空を見上げると、ゆったりと鳶が旋回しながら上昇していく。道路脇にはお地蔵様とお花たち。
ゆっくりゆっくり。体の隅々にまで血液が巡るみたいに、潮のにおいが染み渡っていく。
僕は彼女の事を思いながら、漁港の空気に身を任せて歩く。
家島神社
湾の北辺に大きな鳥居が海に向けて立っている。
たどり着いた。
家島諸島、播磨灘の総鎮守である家島神社だ。家島で一番来たかった場所。
この神社をいつか彼女は歩いただろうか。
長い階段を駆け上って、灯籠の参道から見える男鹿島を横目に、この神社に来たろうか。
君が島を出ていく日、ここから見える空は何色だったんだろう。
旅後記
家嶋神社を後に、僕は宮港から船に乗り帰路に着いた。
彼女はそれから一年もたたずに、また転校していってしまった。
記憶に残るほど話をしたわけでもなく、(その頃は少しでも女子と二人で話したら、みんなから冷やかされた)いつ、どこへ転校していったのかも憶えていない。
今考えると、まるで風の又三郎だ。
ーでも。
なぜほとんど話もしなかった、印象にも残らない地味な子が僕の記憶に残っているのか。何かをやらかして大騒動になったわかでもないのに。
今回島を訪れて少しわかった気がする。
言葉にするのは難しいけれど、俯き加減な彼女の空気。物静かで穏やかで。そこにいることすら忘れてしまいそうな。
それは今の自分、いや”今”じゃなく”未来の”自分がいつか手に入れたい、包まれたいものの一つなのかも。のんびりたゆたう、湾の波のような。
今思えば、あの転校生はこの”島”そのものだった気がする。
彼女は、未来の僕の一人だったのかもしれない。
【リンク】
・家島観光事業組合 http://h-ieshima.jp/
・高速いえしま(高速船) http://www.kousoku-ieshima.jp/
・(有)高福ライナー(高速船) http://h-ieshima.jp/liner.html